増田恵子さんの「周囲への感謝」を忘れない気持ちはNSCの授業で生徒たちに伝えています
1970年代後半から80年代にかけて「ピンク・レディー」の「ケイちゃん」として一世を風靡された増田恵子さん。私事ですが、デビューから解散までの間が自分の闘病生活と重なり、ひきこもりだった私にどれほど元気を与えてもらったかわかりません。
そのケイさんと初めてお会いしたのは20年以上前、ピンク・レディー解散後にソロ活動やドラマなどに出演されていた頃でした。ろくに挨拶もできずに消えていった数多い“元アイドル”たちとは違い、丁寧に挨拶する姿を今でも覚えています。
超多忙時代は「マネジャーの後をついていくだけで、いまどこでどういう番組やイベントに出ているのかが途中でわからなくなってましたね」と落ち着いたトーンで語り、「この人があれだけ激しい歌や踊りをやっていたのか?」と思うほどもの静か。睡眠時間を聞くと「移動中の乗り物の中でした。タクシーで10分、15分とか新幹線が一番よく眠れたような気がしますけど、ほとんどが断眠であんまり覚えてないですね」。
MCのトミーズ雅くんが「今日はしんどうて動かれへんいう時もあったでしょ?」「あったと思いますけど……応援してくれてるお客さんを見ると、曲を聴くと自然に体が動いてたんじゃないかな?」。条件反射のように歌って踊っていたように言っておられましたが「しんどいけど楽しかった」と言われていたように記憶しています。