【追悼】火野正平さん 愛された“女殺し”の極意…希代のプレーボーイが75歳で死去
先週14日に75歳で亡くなった火野正平(本名・二瓶康一=にへい・こういち)さんに対し、NHK BSプレミアムの旅番組「にっぽん縦断 こころ旅」は公式インスタグラムにこんな追悼文を掲載した。
《火野正平さんには、1200日を超える旅を続けてくださったことに、深く感謝申し上げるとともに、心より哀悼の意をささげます》《お手紙をお送りいただいた方々に寄り添いながら旅を続けてくださったことに深く感謝申し上げるとともに 心より哀悼の意をささげます》
番組で2011年から24年まで、自転車で日本全国、津々浦々を訪れて視聴者の「こころの風景」を伝えていった。持病の腰痛を抱えながらの奮闘で、ことし9月には骨折でロケを断念するまで続けていた。その姿を思い出す視聴者から、追悼メッセージが数多く寄せられているようだが、芸能関係者には希代のプレーボーイとしてその名をとどろかせていた時代を懐かしむ声が少なくない。2016年刊行の自叙伝「火野正平 若くなるには、時間がかかる」(講談社)では、こう振り返っていた。
《若い頃は、二股どころか、何股かけたか分からない。11股とか報道されたこともあった。『握手したら妊娠する』と言われたこともあるよ。仕事を1年以上ホサれたこともあるさ。でも、それも含めて今の自分だから》