血尿を隠して撮影に臨んだ松田優作40歳の死
がんはかなり進行していた可能性があり、通常はすぐにでも手術を行って、場合によっては人工肛門や人工膀胱が必要となる。しかし、この時はリドリー・スコット監督の映画「ブラック・レイン」の撮影開始を控えていた。「一生に一度出合えるかどうかの、どうしてもやりたい仕事だ」「たとえ、それで命を縮めてもやらせてください」と手術を拒否。髪の毛が抜けないように抗がん剤も副作用の少ないものを選んだほどだった。
文字通り“命がけ”の撮影は88年10月後半から大阪、米国内で5カ月にわたって行われた。厳寒のロケでもあったが、体調の悪さをおくびにも出さず膀胱内に抗がん剤を入れ撮影を続けた。撮影クルーの相談に乗ることも多く、現場では「先生」と呼ばれアクションシーンもほとんどスタントを使わず撮影。末期がん闘病中であることに気づいたスタッフは少なかった。優作演じる殺し屋の佐藤は脚本が何度も書き直された末、殺害ではなく、逮捕される結末が採用されたが、これは監督が優作を起用する続編を意識したためと噂された。
その後もドラマ「華麗なる追跡」(日テレ)の撮影を行うなど精力的に仕事をこなしたが、病魔は確実に体をむしばんでいた。40歳の誕生日を迎えた89年9月、「腰の激痛に耐えられなくなった」と再び病院に。だが、この時、がんは骨盤にまで広がり、手術はおろか抗がん剤さえ使える状況ではなかった。10月7日、「ブラック・レイン」が日本公開、「華麗なる追跡」も放送されたが、松田は入院。わずか1カ月後の11月6日に帰らぬ人になった。