家族、稼ぎ、男…メディアが報じない浅田真央の“私生活”
名古屋市内の通称「女子大小路」と呼ばれる一角で、真央の父・敏治(55)は売れっ子ホストとして知られた存在だった。
小学生の頃に父親が死去。繁華街で働いて、家計を支えてきた苦労人だ。11年12月に早世した真央の母・匡子(享年48)も若くして両親を失っている。姉と2人、それこそ身を削るような努力で生計を立ててきた女性だ。
■破産寸前まで娘に投資
青春を犠牲にして働いた男女は夜の街で出会い、やがて結ばれた。後の天才少女が生まれたのは、1990年9月25日。宝塚ファンの父はトップスター大地真央にちなんで「真央」と命名した。
母には家庭の事情で諦めた夢があった。プロのバレエダンサーになる。その夢を託すように真央には3歳からバレエを習わせた。
「真央ちゃんが初めてリンクに立ったのは、5歳のとき。足首が鍛えられてバレエが上達する。そう考えて匡子さんはフィギュアを学ばせたのです」(浅田家の知人)
あくまで「バレエのためのフィギュア」で、真央はメキメキと頭角を現していく。小3で全日本の新人発掘合宿に招集。小6で最難度のトリプルアクセルを跳んだ。