各誌共通の人気企画「あの人は今」取材は簡単そうで難しい
■「ふざけるな! 今も仕事をしている」とお叱り
現在、別な仕事をしている人は自ら取材に応じることもあるが、基本的にこの手の企画は読者にはインパクトはあっても、当人は「はたから見れば、いかにも落ち目になったように見えてしまう」(芸能関係者)ことから敬遠されがちだった。実際、所属していた事務所へのアポイントで苦労する。
「どんな内容で他にどんな人が出てくるのですか」と聞いてくる。はっきり「あの人は今」とタイトルを言えば、「ふざけるな。今も仕事をしている」とのお叱りを受ける。タイトルを曖昧にすれば、後に「あの人は今」とわかり激怒される。
事実、東京キー局の仕事はなくとも、地方ローカルや興行などで活躍を続けている人も少なくない。演歌歌手の井沢八郎(工藤夕貴の父親・故人)の話は強く印象に残っている。1964年に出した「あゝ上野駅」が大ヒット。紅白にも出場したが、その後はヒット曲に恵まれず一線から消えていた。
「ヒット曲と紅白で一躍、全国人気になり地方営業が増えた。ドサ回りは演歌歌手の原点。キャバレーから公民館まで全国津々浦々回る引っ張りだこ。一年の大半が地方。テレビに出ていた時代よりも稼いだ。これも紅白出場のおかげ」と八王子に建てた豪邸の応接間で快く答えてくれた。