一龍斎貞弥さんは悪性リンパ腫を克服「平静を装いながらトイレに駆け込んで…」
一龍斎貞弥さん(講談師・声優/59歳)=濾胞性リンパ腫(悪性リンパ腫)
2021年1月初め、看護師さんが頭から足のつま先まで全身完全防備で、抗がん剤の点滴を打ちに来た姿を見て驚きました。「誤って抗がん剤が肌に触れないように」という理由です。「そんなに強い薬なんだ」と思ったと同時に、「それをこれから血管に入れるんだ私……」と不安になりました。
不調の始まりは、18年。お腹がキリキリと痛み調子が悪い日が不定期に起こるようになりました。初めのうちは消化器系のクリニックで処方された胃腸薬を飲んで、しばらく横になっていれば治っていたのですが、徐々に薬が効かなくなりました。
それでも仕事を休むという発想がなく、吐き気や嘔吐で脂汗をかきながらも高座を務めました。周囲には一切知られないように平静を装い、師匠を駅まで見送った後に駅のトイレに駆け込んで吐いたこともありました。
いよいよひどくなったのは20年の11月半ばでした。ほとんど何も食べられず、下痢や嘔吐が続き、夜も眠れなくなりました。まるでお腹の中で大蛇が暴れているかのようで、ゴロゴロという雷のような大きな腹鳴が不気味でした。
「CTを撮ってきてください」と言われたのは、3度目のクリニック受診時でした。大きな病院の総合診療科を紹介され、翌日受診すると「お腹の中にたくさんリンパ腫ができています」と告げられたのです。可能性として悪性リンパ腫、小腸がん、婦人科系の(悪性)腫瘍が考えられるというお話でした。「腫瘍は良性の可能性があるのでしょうか?」と聞くと、申し訳なさそうに「すいません」と返ってきたので、「がんならあまり長くないかもしれない」と直感しました。
翌々日に入院が決まって、真っ先に対処したのは仕事のことです。結構、予定が詰まっていたので関係各所に電話をして代演を立てたり、延期をお願いしたり……。声の仕事はマネジャーがいますが、講談についてはすべて個人管理なので落ち込むヒマもありませんでした。
翌日には、師匠とおかみさんにこれまでの経緯を報告しに行きました。「良くないもののようです」と告げると、師匠から「まだわからないのだから、できる治療をしっかりやりなさい」という言葉をいただき、2日後に入院でした。
その後も検査が続いた一方で、小腸にたまった腸液を出すためにイレウス管という太めの管を鼻から腸まで入れられて、約2週間絶飲食状態になりました。
それが終わると、小腸は開腹手術で閉鎖していた部分を切除しました。30センチほど切ったようです。人工肛門になる可能性もありましたが、おかげさまで肛門は無事でした。
骨髄注射と開腹手術の際に採取した組織検査によって、悪性リンパ腫の中でも進行が遅いタイプの「濾胞性リンパ腫」と判明しました。でも、すでにステージ4まで進行していたんですよね。
体力を立て直し、一時退院後再び入院して抗がん剤治療に入ったのは翌年のお正月明けでした。4週間を1クールとして全6クール。2クール目からは通院での治療でした。強い薬のために血管が細く硬くなり、だんだん針を刺せるところがなくなって、後半は手の甲に刺したときもありました。
一番つらかったのは4クール目でした。身の置きどころがないほど絶え間ない吐き気に、「やめようか」と思ったんです。でも治療の効果は確実に出ていたので、「せっかくここまでやってきて、あと少しのことで完全寛解できませんでした、となるのは嫌だ」と思い直して踏ん張りました。ダメだったとしても、やるだけのことはやったと言える結果を残したかったし、一日一日続けていれば必ず終わりがくるのだと自分に言い聞かせました。
6クール終えた時は達成感と解放感に浸りました。21年7月に寛解となり、8月には仕事復帰。治療中に真打ち昇進のお話を師匠からいただき、昨年秋から今年の6月まで真打ち披露公演をさせていただきました。
今でも2カ月に1回は血液検査をして、年に1回はCTを撮るように言われています。
病気をして、モノの見方、考え方がガラリと変わりました。以前は仕事第一でしたし、周囲に配慮し、常に自分のことは後回しにしていました。そのうえ足りないものばかりが気になって、ちっとも自分に満足していなかった。でもじつは、大切なものは全部持っていたんですよね。それを病気が教えてくれました。 今は食べられる幸せを噛みしめつつ、何事に対しても今この瞬間を楽しもうと思えるようになりました。「生きているだけで丸もうけ」(笑)。この病気は再発しやすいといわれているので、なおさら「今」を楽しんでいます。今のこの幸せがあるのは家族や友人、師匠ご夫妻、応援してくださる方々の降り注ぐような愛のおかげです。
実家の両親は「あや(本名)は運がいいから大丈夫」と言い、妹にも「あやちゃんは力ずくでいい結果を引き寄せる力があるからきっと大丈夫」と励まされました。たくさんの人の精いっぱいの思いが、目に見えない力となって私を支えてくれたのです。私にとっては「病気はギフト」だったと思います。
(聞き手=松永詠美子)
▽一龍斎貞弥(いちりゅうさい・ていや) 1964年、大分県出身。外資系ホテル勤務を経て、90年からナレーター・声優として活動。給湯器の「お風呂が沸きました」の声の人として知られる。2007年に講談師・一龍斎貞花に入門。08年に前座、11年に二つ目になり、昨年9月に真打ちに昇進した。
■本コラム待望の書籍化!「愉快な病人たち」(講談社 税込み1540円)好評発売中!