男性乳がんを経験した野口晃一郎さん「転移と聞いて死を身近に感じた」
野口晃一郎さん(フリーライター/48歳)=男性乳がん
「なんで左胸だけへこんでるんだろう?」
ことの始まりは2016年、お風呂上がりに妻が言ったこのひと言からでした。その時は「ちょっと太っちゃったからかな」と笑いましたが、言われてみれば確かに左の乳首が陥没している。ふと「乳がん」が頭をよぎりました。
というのも、その数年前から、新聞社の依頼で乳がん特集を担当していて、取材を通して男性も乳がんになることを知っていたのです。「まさか」と思いながら、その年も10月のピンクリボン月間に向けて、毎年お願いをしている乳腺外科の先生に取材をしました。取材終わりに世間話の延長で「左の乳首がへこんでいて、なんとなくチクチクするんですけど」と相談すると、「男性乳がんはまれだし、高齢者に多くみられるから大丈夫だと思うけど、心配なら検査を受けてみたら?」と言われました。当時41歳。不安はつぶしておきたいタイプなので12月に検査を受けました。
触診、マンモグラフィー、エコーに加え、組織を調べるために生検もやりました。その時に先生が「う~む」と渋い顔をされたので、なんとなくそこで察しがついたのですが、数日後、生検の結果で「乳がんステージ1」と確定しました。
治療は左乳房の切除手術です。女性と違って抵抗は少なかったです。手術は年明け2月。1時間ぐらいで終わるはずでした。でも、開けてみたらリンパ節にも転移していることがわかり、急きょリンパ節も切除となりました。いわゆる見張りリンパと呼ばれ、“ここを越えたら全身にいってしまう”というセンチネルリンパ節に若干入り込んでいたそうです。
手術時間は約5時間に及びました。私は麻酔で寝ていただけですけど、術後、リンパ節までいっていたと聞いて死を身近に感じました。最終的にはステージ2aだったことになります。
入院期間は11日。手術直後にあった高熱が下がった後は、こっそり病室で原稿を書いたりしました(笑)。
■日本の乳がん患者会は“アウェー感”があった
診断書には「3カ月の療養期間」とあり、本格的な仕事復帰はその後でしたが、じつはその療養期間中に渡米しました。日本のネットでは、男性乳がんの情報が皆無だったので、「じゃ、英語のネットで検索しましょう」と妻が調べてくれて、MBCC(Male Breast Cancer Coalition:米国の男性乳がん患者会)の集会に参加できるよう連絡を取ってくれたのです。妻は英語に明るいので、彼女を介して現地の男性乳がんの人と交流してきました。
場所はカンザスシティーです。医師による医学的な堅い話からワイワイとしたパフォーマンスまで、男性乳がんであることがじつにオープンに語られる場でした。集合写真でみんな上半身裸になったのには度肝を抜かれました。手術痕を堂々と見せてアピールするのです。よくわからないけれど、自分も現地のメディアに出演したりしました(笑)。日本にいると独りぼっちだったので、多くの男性乳がん患者の人たちに会えて、病気の話ができたことがなにより気持ちを落ち着かせてくれました。
今は、日本でも男性乳がんがメディアで取り上げられるようになりましたし、NPO法人キャンサーネットジャパンの中にメンズBCという男性乳がんの会ができ、ウェブサイトもオープンしています。
思えば、男性がほぼいない乳がんの会は“アウェー感”が否めないんですよね。女性のエネルギーに圧倒されてしまうというか……。こちらが勝手に感じてしまうことなんですけど、診察の時もそうでした。女性ばかりの乳腺外科の待合室にポツンと男がいるわけじゃないですか。「なんで男の人が1人でいるの?」という視線が刺さる刺さる。
でも、日本でも年間約600人が罹患するそうです。自分の場合は、たまたま取材を通して男性でも乳がんになることを知っていたし、ラッキーにも乳腺外科の先生と話す機会があったから、これだけ早期に発見できたのだと思います。もし「男性が乳がんなんて」と思っていたら、手遅れになりかねません。最近、自分が講義を受け持っている大学でも教職員への乳がん検診のお知らせから「女性」という文言が取り除かれました。そう、数は少ないけれど、胸がある以上、男性にも関係があるんです。
幸い抗がん剤も放射線も不要で経過は順調ですが、まだ毎日女性ホルモンを抑えるホルモン剤を服用しています。以前は5年間でしたが、今は10年間が推奨されているそうです。副作用はなく、体重が落ちにくいぐらいのことで普通に仕事もできています。
一度、死を意識したことで、自分の気持ちに素直に耳を傾けて行動に移すようになりました。今3歳の娘は、特別養子縁組で家族になりました。子供に恵まれないご夫婦でも、こういう生き方もあると感じてもらえたらいいなと思っています。
(聞き手=松永詠美子)
▽野口晃一郎(のぐち・こういちろう)1974年生まれ、岐阜県出身。99年に岐阜新聞社の報道記者、2002年から岐阜放送報道部に異動となりアナウンサーとして活躍。05年に新聞社に戻りカメラマンなどを務めた後、31歳で退社。1年かけて夫婦で世界一周を敢行し、32歳でフリーライターとなる。大学などで講座を持つほか、男性乳がんの啓発活動にも尽力している。
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