花田美恵子さん<1>“就職浪人”覚悟で家族と目指したCAの夢
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「両親は地上職でしたが、私には『客室乗務員は面白い仕事だよ。いいんじゃない?』というのが口ぐせで。完全に刷り込まれていました(笑い)」
街でスカウトされて、ファッション雑誌「Olive」の読者モデルになったが、CAの夢が揺らぐことはなかった。
「父親は編集長に『学業を優先なら』と話をして、学校の許可も出たのでモデルの仕事をさせてもらいました。楽しい仕事でしたが、将来の職業はCAと決めていましたから、他の仕事は考えられませんでした。就職活動でも他業種は1社も受けていません。専門学校にも通って、面接対策やマナー講習を受講。『自分をアピールしないといけない』と教えられましたが、まわりの女性たちは自己主張が上手で、あまり馴染めませんでしたね」
当時はまだバブル経済の延長線上で、CAは人気の職種だった。
「試験には、当時流行した華やかなピンクや黄色のスーツで挑みました。落ちたら就職浪人も考えていましたし、両親もそれに賛成していました。家族全員で目指していた格好でしたから、採用が決まった時は喜びもひとしおでしたね」