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田中幾太郎ジャーナリスト

1958年、東京都生まれ。「週刊現代」記者を経てフリー。医療問題企業経営などにつ いて月刊誌や日刊ゲンダイに執筆。著書に「慶應幼稚舎の秘密」(ベスト新書)、 「慶應三田会の人脈と実力」(宝島新書)「三菱財閥 最強の秘密」(同)など。 日刊ゲンダイDIGITALで連載「名門校のトリビア」を書籍化した「名門校の真実」が好評発売中。

「少なくとも三兎を追え!」県立浦和高校が実践するバンカラ教育

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 私立や国立はもとより、公立でも中高一貫校が幅を利かす大学受験戦線。3年制高校が圧倒的に不利な環境に置かれる中で、奮闘している公立校がある。首都圏で目立った実績を上げているのは、2018年に48年ぶりに東大合格者数トップ10に返り咲いた都立日比谷高校、21年に東大合格者数が前年からほぼ倍増の50人(11位)に躍進した神奈川県立横浜翠嵐高校、そして埼玉県立浦和高校、通称「浦高」である。1895年に開校した県を代表する伝統校だ。

「1950年代、さらには70年代半ばから80年代半ばにかけて東大合格者数トップ10の常連でした。以降はそこまでの爆発力はないものの、安定した実績を残していて、“埼玉一”の名門の座を維持している。6年間じっくり対策がとれる中高一貫校に、互角以上の成果を出し続けているのは、さすがというほかありません」(大手予備校スタッフ)

■栄東に東大合格者数で抜かれた

 埼玉県で絶対王者としての位置を占めていたはずの浦高だが、実は一度、その座を明け渡している。16年のことだ。同じさいたま市にある私立中高一貫校の栄東に東大合格者数で抜かれたのである。栄東の27人に対し、浦高は22人。翌年すぐに巻き返し、32人と県内トップの座を奪還。18年22人、19年41人、20年33人と県内トップを守っている。21年は46人で全国15位だった。

「栄東に抜かれたこと自体はそれほど深刻には思わなかったのですが、16年の東大合格者22人のうち、現役がわずか4人しかいなかったのはショックでした」

 学校関係者はこう振り返るが、16年ほどではないにしても、例年、浪人する生徒が多いのも浦高の特徴のひとつ。中高一貫校と比べて、現役合格率が低いのは致し方ない面はあるものの、3年制の進学校の中でも決して高いほうではない。日比谷高と比較すると、それがよくわかる。

 21年の東大合格者46人のうち、現役は25人。日比谷は63人中48人だ。国公立大医学部への合格者は15人。そのうち現役は4人しかいない。一方、日比谷は37人の合格者を出し、うち23人が現役だ。

「受験だけに必死になっている姿は見せたくないのが浦高生気質。生徒の多くは浪人を恥ずかしいとは思っていない」と話すのは40代のOB。2浪して国立大の医学部に入り、現在は都内の病院に勤務している。医師といえば、明仁上皇の心臓手術で執刀した順天堂医院前院長の天野篤氏も浦高の出身。在学中から麻雀に熱中し、3浪して日大医学部に入学した。

「尚文昌武」の校訓を宇宙に掲げた若田光一さん

 浦高の校訓は「尚文昌武(しょうぶんしょうぶ)」。戦前の旧制中学時代から掲げられてきたもので、第2代校長・藤井宣正氏の造語。意味は文武両道と同じである。浦高出身の宇宙飛行士・若田光一氏は09年、尚文昌武と書かれた旗を宇宙に携行。国際宇宙ステーションに滞在した際、この旗を高らかに掲げ、話題になった。

 校訓を体現するように、かつてはサッカーの強豪校としても鳴らした。1952年、54年、55年と、全国高校サッカー選手権で3度の優勝を果たした。ラグビーも3度、全国大会に出場。2019年にはベスト16に進出している。

 まさに尚文昌武を実践しているわけだが、それをさらに発展させた裏校訓ともいうべき言葉が浦高にはある。「少なくとも三兎を追え」というもの。勉強と部活、そして学校行事にも全力投球せよというのだ。「とにかく、浦高にはやたらと行事が多いんです。1年中、何かやっている。僕らがいた頃も今も、あまり変わらない」と40代OBは話す。

 新年度が始まって1カ月後の5月には新入生歓迎マラソン、サッカー大会、将棋大会と立て続けにイベントが開かれる。6月に体育祭。7月は百人一首大会、バレーボール大会、ソフトボール大会、卓球大会、臨海学校(1年生)。以降も毎月、ぎっしりと行事が組まれているのである。よほどのことがないかぎり、雨天でも決行する。

50.2キロを7時間で走破する「強歩大会」

 こうした学校行事の中で最大のイベントは毎年11月に開催される「強歩大会」。浦高から茨城県古河市まで、フルマラソンより10キロ長い50.2キロ走破するのである。強歩といっても、速めに歩いたくらいではゴールできない。7時間という制限時間が設けられているからだ。ジョギング程度の速さをずっと維持しなければならず、かなりハード。生徒たちは「古河マラ」(古河マラソンの略)と呼んでいる。

 この強歩大会が始まったのは1959年。以来、一度も休むことなく続けられ、昨年11月1日には第62回大会が開かれた。

「コロナ禍の中で危ぶまれたのですが、ここで途切れさせるわけにはいかないと、浦高に関わる人たちや地域の人たちが積極的に協力してくれた。特に大きかったのは、数百人に及ぶ保護者による全面的なサポート。そうした尽力もあって、コロナ対策も万全な体制をとることができ、開催に漕ぎ着けたんです。完歩率は70%台前半と、例年より低かったものの、これまでの中でも、とりわけ印象に残る大会になりました」(学校関係者)

 勉強、部活、行事と三兎を追う教育方針は、受験にどう影響を及ぼすのだろうか。さすがに「プラスになる」とは言いづらい。受験対策に割く時間が少なくなるのは明らかだからだ。

「陸上の部活もしっかりやっていたので、本当に大変でしたね。夕方6時に部活が終わると、学校の教室に残って、9時まで自習するんです。そして朝も7時前には学校に来て、授業が始まるまで自習。僕だけでなく、多くの生徒がこのパターンでした。ただ、3年の途中でやっぱり、これでは実力が足りないだろうなと浪人を覚悟。2浪したのは大誤算でしたが」

 医学部に進んだ前出の40代OBはこう笑うが、後悔はまったくないという。

「二兎を追う者は一兎も得ずと言いますが、三兎ならなんとなくできてしまう。疑問に思って立ち止まるヒマもないので、がむしゃらに目の前のことをやっていくしかないんです。この時代があったおかげで、楽なほうに逃げることもなくなった。苦痛を苦痛とも思わなくなっているので、仕事でプレッシャーを感じた経験もありません」

■佐藤優氏が語る母校愛

 三兎を追う教育は、ユニークな人材も数多く輩出している。前出の天野篤氏や若田光一氏などはその筆頭格だろう。もうひとり忘れてはならないのは、かつて「外務省のラスプーチン」と呼ばれた佐藤優氏。鈴木宗男事件で有罪となり外務省を失職したが、その後は作家になり、論客として活躍している。母校への思いは非常に強いようで、「埼玉県立浦和高校 人生力を伸ばす浦高の極意」(講談社現代新書)という著書を執筆。その中で「社会に出て何度かピンチに陥るたびに、私は浦高で培った『力』に助けられた」と語っている。

 大学受験に重きを置いた中高一貫校が全盛の時代だけに、どこかバンカラの雰囲気を残す浦高の校風が新鮮に映る。

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