メロディーが物悲しい藤山一郎の「長崎の鐘」を学校の帰りに合唱しながらよく歌っていた
小学生のとき、JR中央線東中野駅の近くに住んでいた。学校は早稲田通りを渡った、上高田の昭和小学校(現白桜小)であった。
学校の周りは明治・大正時代に、都心の下町から移転してきた寺院が固まっていた。この地域は「中野の寺町」と呼ばれ、近くに火葬場もあり、通りすぎる黒い霊柩車…
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