批判多い「人質司法」に裁判所も正念場
2歳の義理の娘に暴行し死なせたとして、1審で懲役12年の実刑判決を受けながら、控訴審でも無罪を主張している男性が7月26日、釈放されました。外出時にGPS端末を身に着ける、男性の母親を監督者として定めることが保釈の条件でした。今回のケースは控訴審の審理が終結し、判決を迎えるだけの段階での保釈だったので、異例といっていいでしょう。というのも、第1審で実刑判決を受けた被告人の場合、刑務所への収監から逃れるために逃亡するリスクがあるため保釈が非常に認められにくいのが実情なのです。
しかし、こうした実情は正しいのでしょうか。
裁判が確定し終わるまでは、あくまで罪を犯した疑いをかけられているだけの一般人です。
読者諸兄も自分に置き換えて考えてみてください。身に覚えのない犯罪で逮捕勾留され、起訴されたとします。当然、自身の身の潔白は自身が一番わかっているわけですから、疑いを晴らすために最も効率的に必要な証拠を集めることができるのはほかでもない自分自身です。ところが勾留が続いてしまえば、被告人は疑いを晴らすための行動が極端に制限され、家族や友人と会う機会も奪われ、長い長い拘置所での孤独の中で戦う意欲も薄れていってしまいます。