東京計器 安藤毅社長(1)大学サッカーで田嶋幸三や西野朗のチームメイト
■1976年の日韓戦でピッチに立つ
大学2年生だった76年には、日韓戦に出場。後半のピッチに立った。
「国立競技場の雰囲気や大観衆でアガってしまい、やりたいプレーはできませんでした」と、安藤氏は試合を振り返る。韓国選手の当たりの強さは、それまで経験したことのない激しさだったという。
こうした活躍が認められ、安藤氏は関東の有力実業団チームに入ることになった。ちなみに当時はまだ、プロのJリーグは始まっていない。
就職して実業団チームに入ると聞いた祖母が、お祝いを贈ってくれた。新車が買えるような、まとまったお金だ。
ところが贈られた預金通帳を見た安藤氏には、ムクムクと別の思いが湧き上がっていた。実は安藤氏の学業での恩師が、研究のために渡米しており、文通を続けていたのだった。
「このお金があれば、留学が実現できるじゃないか」
そう思ってしまった安藤氏。翌日には実業団チームに断りの電話を入れたのだった。(つづく)
(ジャーナリスト・五嶋正風)