牧野、西園寺らは摂政宮を育て「君民一体の国家」目指した

一口に「摂政宮」と言っても、その位置には多様な考え方があった。ひとつは摂政宮の座についた人はすべからく、大正天皇に与えられている全ての権限をそのまま行使するといった考え方だ。大正天皇の代行である。
これとは別に、摂政宮についた人物(この場合は皇太子になるわけだが)の持つ…
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