永田鉄山刺殺事件 相沢三郎の日本刀で永田は“即死”だった

昭和陸軍はある時期から平衡感覚を失ってしまった。昭和3年の張作霖爆殺事件を契機として、テロと陰謀をもって自己の主張を通す組織となっていった。そういう状態で日中戦争、そして太平洋戦争に入っていったことになるのだが、一度バランスを保つことができなくなった組織は、際限なく自滅的な行動…
この記事は有料会員限定です。
日刊ゲンダイDIGITALに有料会員登録すると続きをお読みいただけます。
(残り832文字/全文973文字)
【ログインしていただくと記事中の広告が非表示になります】