天皇・マッカーサー会見に影響を与えていた東京裁判
奥村勝蔵の立場が極めて微妙だったというのは、東京裁判の進み具合によってというべきであった。東京裁判は、昭和22(1947)年2月にひとまず検察側の訴因55に対する立証を終えたのだが、それ以後、被告たちの弁護人が反証を加えていくことになった。正確には、この年の2月24日から翌昭和…
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