本田圭佑「虚像と実像」(5)ガンバジュニアユース失格の真相
■ミニゲームとフルコートでの試合はまるで別人
そんなコーチ陣の期待とは裏腹に、上野山らが「もっと走れ!」と口を酸っぱくして指導しても、本田は頑として聞き入れなかった。
「あまり動かないで済むミニゲームでは抜群の存在感を示すのに、フルコートでの90分間の試合になると、途端に目立たなくなってしまう。ガンバ大阪の育成方針は、当時も今もパスを出して走る『パス&ゴー』という基本を選手全員に徹底させます。チームの一員として“走れない”のはネックです。何度も何度も本人と話をしました。でも圭佑は走ろうとはしなかった」(上野山)
本田のサッカースタイルは、ガンバ大阪には相いれなかった。
少しずつ、そして確実に本田の存在感は薄れていった。同期の中で家長ら主力が順調に頭角を現していく中、サブメンバーとして取り残されていく日々。本田はおくびにも出さなかったが、焦燥感にさいなまれながら練習をこなしていたはずである。
本田の「走らない」には「ある病気」が関係していた。
(敬称略=つづく)