本田圭佑「虚像と実像」(4)大人を操ったヨイショと作り笑い
誰が相手だろうが、物おじすることなく、言いたいことはハッキリと言う。本田の言動は、若い世代の一部からカリスマ教祖のようにあがめ奉られる一方、傲慢でふてぶてしい印象も漂ってくる。
それでも、本田が批判の矢面に立たされることが少ないのは、苛烈な環境で培った気配りと深謀遠慮があるから。
両親が離婚し、親代わりの祖父母は共働きで家にいない。本田にとって小学生の頃から頼れるのは兄・弘幸と、その仲間だけだった。小学4年から中学のサッカー部で練習していた本田の周囲は常に「目上」ばかり。偉そうな態度を取り続ければ反感を買う。そればかりか、自分の居場所すら失う可能性があった。
どうしたら年長者に認められ、自己主張しても聞き入れてもらえるか。会得した処世術は「巧妙な言葉の使い方」「相手をソノ気にさせる上手な伝え方」だった。
弘幸が通っていた摂津二中のサッカー部顧問だった田中章博は言う。
「偉そうなことばかり言うてたけど、圭佑はああ見えて何かを言うに当たり、相手に配慮して上手に伝えていた。そうしないと、みんなは構ってくれなくなるし、ボールももらえないから。ヨイショの一言や(笑い)。あと見えないところで褒めたりすることも忘れんかったね。だから、先輩たちも圭佑を無視できなかった。小学生の圭佑が出す指示を、中学生が真面目な顔でフンフンって聞いてたぐらいやからね」