4度の挑戦で弁護士に 元G大阪選手が乗り越えた挫折と屈辱
01年春。31歳で始めた「二足のわらじ」は想像以上に過酷を極めた。
大学では経営学部だったため、法律はズブの素人。会社で仕事を終えて自宅に戻ると、連日午前3時過ぎまで机に向かった。起床は朝7時。1日6時間以上の勉強に加え、週3日は夜間の法律専門学校にも“登校”。ほぼ年中無休でこの生活を続けた。
しかし、司法試験は甘くない。勉強開始から2年間で受けた2度の試験は、いずれも合格ラインにはほど遠い内容で不合格。3次まである試験の1次すら通過できない惨状に頭を抱えた。
■極貧生活でも支え続けた糟糠の妻
「このままでは一生合格できない…」
そう思った八十さんは03年、思い切って東京での会社勤めを辞め、実家近くの大阪・高槻市のアパートに引っ越した。1日12時間以上を勉強に費やせる環境を作り、自らを追い込んだ。僅かな貯金で妻と3歳の子供を養う不安はあった。それでも、「1年間、この勉強を続ければ今度こそ何とかなるはず」。そう自分に言い聞かせながら、参考書に連日かじりついた。