リオ重量挙げ銅の三宅宏実が決意 「東京では必ず結果を」
でも、もし4度目の五輪で一本も挙げられないのは何か意味があることなので、どんな結果でも受け入れようと心に決めて臨んだところ、会場から大きなエールを頂きました。後がない私への声援で会場がどっと沸いた瞬間、胸に響いて頑張ろうと思い直しました。覚悟を決め、運を天に任せたところ奇跡的に取ることができました。
実は途中でひざまずきそうになり、かかとも浮いた状態で成功したのは初めてだったのです。周りの人の応援と五輪の力も加わり、運もあったと思いますね。
この4年間はつらく苦しいことばかりでした。ロンドン五輪が終わってからは「このままいける」「まだまだいける」と簡単に考えていたんですが、実際はまるで違いました。年齢とともに体も変化してくるし、腰を痛めたりケガもしました。記録を自己ベストに戻したいと思っても、なかなか達しなかったり。16年5月の全日本選手権では初めて表彰台を逃しました(4位)。年とともに瞬発力が落ちていくのはうすうす分かっていたのですが、いつまでも心は20代のまま。「こんなはずではない。もっとできる」と思っていながら練習していたら、オーバーワークになり、リオの2カ月前に腰を痛めてしまいました。父(監督の義行さん)からも「いつもオーバーワークだから、もう練習はやめなさい」と注意されていたのです。でも、練習が好きだし、できることがうれしかったので、無理してしまいました。今、思えば父の言う通りでした。