イチローの4位指名と宮内オーナーに二軍選手を見せた経緯
「ダメです。4位までに指名しなければ、絶対に取れません」
91年、ドラフト前日のスカウト会議だった。当時、愛工大名電(愛知)の投手だったイチローこと、鈴木一朗の獲得を強硬に主張したのは三輪田勝利スカウトだった。
この年は1位で関西学院大の田口壮(現オリックス二軍監…
この記事は有料会員限定です。
日刊ゲンダイDIGITALに有料会員登録すると続きをお読みいただけます。
(残り1,201文字/全文1,341文字)
【ログインしていただくと記事中の広告が非表示になります】