定点観測で描く幾世代者家族の物語
「HERE 時を超えて」
かつて日本でもヒットした映画「フォレスト・ガンプ」。戦後生まれのベビーブーム世代が40代50代を迎えるころ、戦後史を絵巻物のように振り返って、保守化する時代風潮を体現した映画だった。
その監督・スタッフと主演(トム・ハンクスとロビン・ライト)が再び集まったというので話題なのが今週末封切りの「HERE 時を越えて」だ。
あれから30年経った本作は過去の振り返り方がだいぶ違う。20世紀の初めごろに建てられたらしい住宅の居間を定点観測の拠点に仕立て、太古から21世紀までを縦横に行き来する。やがて物語は主演のふたりの夫婦模様の折々を、あや取りにも似た人生絵巻に描いてゆく。
その描き方が、深入りすると見せかけては離れ、離れたかと思うとまた近寄る。年をとると走馬灯のように人生の折々が思い出されることがあるが、その感覚を映像化するにはどうしたらいいか、監督のロバート・ゼメキスは考えたのだろう。その結果、ハリウッドの娯楽映画にしては珍しく、時系列を無視して断片化する実験的な試みを志向することになった。
近ごろはアメリカでも韓流ドラマが大流行したりしてハリウッド流の大衆娯楽のお株が奪われたといわれるが、根っから娯楽派のゼメキスがこういう作品づくりに挑むさまを見ると、ハリウッドはハリウッドなりに一種の“純文学化”みたいな世界を目指しているのだろうと思う。
これに似た読後感の小説があったなと、しばらく考えて思い出した。ドナルド・バーセルミ著「哀しみ」(山崎勉訳 彩流社 2420円)である。
別離や旅立ち、脱出や死去を短編に描きながら全体をコラージュのように連作につなげることで、もう一段上の抽象化を目指す70年代ポストモダン文学。その流儀が、いまハリウッドにも及んできたのかもしれない。 〈生井英考〉