反町康治さん<1>先輩に丸紅を勧められたが就職は全日空に
1浪後、慶応大学に合格。合格発表の帰り道に誘われたテニスサークルに名前も書いた。
「こりゃ~死ぬほどモテるだろ! って期待したんです。でも、サッカー部の監督とコーチが、契約したばかりの汚いアパートまで押しかけてきて、入りなよって。それで、サッカーを続けることになったんです」
就職活動でも、優先したのは会社の雰囲気や仕事の内容だ。サッカーは二の次で、自分の将来のビジョンに合う会社を探した。
「航空業界に特別な興味があったわけではありません。ただ、グローバルな仕事をしたいって考えていましたね。僕が4年生になるとき、全日空は初めて国際線定期便の運航を開始した。これからどんどん海外に幅を広げていくようにみえたし、実際にそうなりましたが、勢いのある会社というイメージでしたね。その年の就職人気ランキングでも1位で、大学のOBの方に話を聞いても風通しが良さそうだった。慶応の先輩で、のちにサッカー協会会長になる大仁邦弥さんが、当時は三菱重工サッカー部の監督をされていて、一度、呼ばれて話をしたんです。『まあ、たぶん、おまえは通用しねえ~だろ』って言われたんですが、それがなくてもあまり気乗りしなかったですね。もちろん重工がグローバルな企業だと知っていましたが、旧財閥系じゃない方が、自分で切り開いていけるように思えたんです」