法大4年秋 母から「父は胃がん」と告げられて本気になった
プロ入り前は大した実績もなかった。
鳴門高1年時は三塁手。後に近鉄、阪神に進んだ住友一哉さんがエースだった。当時の甲子園は徳島、高知で1枠。南四国大会決勝の相手は土佐だった。2点リードで九回2死走者なし。あと1人で甲子園というところから逆転負けを食らった。エースとして臨…
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