巨人坂本2000安打!高校時代の恩師が語る「ヤンチャ時代」
ノックを「死ねボケ!」と言いながら返球
兵庫から青森へ“野球留学”。案の定、金沢監督は手を焼いた。
「最初の頃は授業態度も良くなくて、職員室に呼んで『プロに行ったとしても、野球以外のこともしっかりやらんヤツは一流になれんぞ』と諭すと、『そんなわけないやろ』とふてくされる。練習をさぼることはありませんでしたが、ノックを『死ねボケ!』と言いながら返球してきたり(笑い)」
高校1年の冬、正月休み明けに兵庫の実家から寮に戻ってくると、鼻にピアスをしていた。金沢監督は「それなら辞めろ」とその日のうちに実家に帰す一方で、父親とさまざまな策を講じて思い止まらせた。それも、今となってはいい思い出だ。
2000安打を達成するまでの選手に成長した理由を「反骨精神ですね」という金沢監督。「まだ通過点。あと10年間はやってほしい。3000安打を目指してもらいたい」とエールを送った。
(取材・文=増田和史/日刊ゲンダイ)
※金沢監督のインタビュー全文は、11月9日発売の日刊ゲンダイ本紙に掲載します。