山内一弘、榎本喜八ら伝説のミサイル打線の猛者をはじめ、通知に逆らう選手はいなかった。拒否したら翌年の名鑑から消えるだけ、といった迫力があった。野球選手の年俸は俳優のギャラと同じと扱っていたのである。
でっかいネタを残している。
代表的なのは1960(昭和35)年の大毎時代に、三原脩監督率いる大洋との日本シリーズで4連敗すると、優勝監督の西本幸雄を「バカヤロー」と解任。さらに63年12月26日、年の暮れに当代一の強打者山内を阪神に出し、20勝投手の小山正明と交換した「世紀のトレード」。いずれも異端の永田だからこそ実現した劇場型のド派手なドラマだった。