「私が息子を殺した」と慟哭した母
しかし、言うまでもなく、届けられた遺書は検閲を受けている。息子の特攻仲間たちは、万に一つも助かる可能性はないのだが、検閲を受けていないもう一つの遺書を書いていた。奇跡的に助かった仲間がいて、彼がそれを届けようと、彼女のところにも来た。
仏壇に遺書を供えて仲間が帰っていくや、彼女は取るものも取りあえず、それを開いた。
すると、そこには、震えるような字で、
「僕はただ黙って母さんに抱いてほしかっただけなのです」
と書いてあった。短刀なんか渡してほしくなかったということだろう。
それを見て母は慟哭する。
「私が殺した、私が息子を殺した」
こう叫んだ彼女は、それから88歳で亡くなるまで、南方の島々を旅しては特攻の残骸に手を合わせる日々を送ったという。
サブタイトルが「歌が明かす戦争の背景」のこの本をまとめた著者は今年85歳。敗戦の年は15歳だった。「発刊にあたって」で、「法治国ではいかなる理由があっても人が人を殺せば必ず罪の裁きを受けるのが常識である。ところが戦争では敵を沢山殺せば殊勲者として崇められ、時として、“軍神”として、神様にさせられるとは何という不条理だろうか」と書いている。