「私が息子を殺した」と慟哭した母
「戦争が遺した歌」長田暁二著 全音楽譜出版社
戦争中に軍人一家の長男に嫁いだ女性がいた。最初に娘が生まれ、次にまた娘だったので、また女か、という空気が漂う。
3人目に息子が生まれ、周囲は手のひらを返したように、でかした、でかした、という雰囲気になった。
その女性も胸を張って息子にスパルタ教育をし、それに応えた息子は江田島の海軍兵学校に進んだ。そして、特攻を志願する。戦地に発つ前、別れに来た息子に彼女は先祖伝来の短刀を渡した。つまりは、捕まりそうになったら、これで死ねということである。
それに対して息子は、まるで上官に対するような敬礼をして出発していった。まもなく戦死の報が届き、白木の柩と一緒の遺書には「後に続くものを信ず」とあった。当時はやった「軍国の母」という歌にこうある。
生きて還ると思うなよ
白木の柩が届いたら
出かした我が子天晴れと
お前を母は褒めてやる
息子は軍神と称えられ、彼女は「軍神の母」として新聞に載った。