傑作撰を締める「野坂に逢ってやってください」の言葉
「俺はNOSAKA ほか傑作撰」野坂昭如著 新潮社 2000円+税
学園祭のシーズンになった。
ミュージシャンにとって学園祭からどれだけ声が掛かるかが、人気のバロメーターでもある。
70年代前半、学園祭でもっとも人気があったのが他ならぬ野坂昭如であった。中でも女子大から声がよくかかった。
「黒の舟唄」「マリリン・モンロー・ノー・リターン」という名曲がレパートリーにあったのも凄い。1972年、私が買ったLP「鬱と躁」は、野坂昭如が持ち歌の「バージン・ブルース」の一節、「ジンジンジンジン血がジンジン」と歌うたびに女子大生たちの嬌声が交じる、女子大ライブが収録されていた。
昭和1ケタ世代なのに黒眼鏡に長髪、ジーンズ。ラグビー、キックボクシング、歌手、米作り。野坂昭如の周りには、いつも時代を湧き上がらせる熱気が漂っていた。
本書に収録された短編「プレイボーイの子守唄」は、名作「火垂るの墓」の原型ともいえる作品だ。終戦直前、空襲と飢えから1歳3カ月の妹を守ったけなげな野坂少年、かと思いきや――。
〈しかし一年三ヶ月の赤ん坊の食物のピンをはね、その頭をブンなぐった記憶はなくなるものではない。〉
野坂昭如は戦後、結婚して女児の父となり、女児がリンゴやバナナ、チョコレートを食べ残すのを見るたびに幼くして亡くなった妹を思い出す。強烈な原罪が野坂文学の核でもあった。
昭和1ケタ世代の男は家父長制的意識が色濃い半面、反体制志向が強いのも、思春期に信じていたものがすべて間違っていた、というトラウマがあるからだろう。昭和3年生まれのうちの父もそうだった。生き残ってしまった原罪がこの世代に残っている。
あとがきは野坂暘子夫人によるものだ。亡き夫の傑作撰を締めくくる最後の言葉が胸を打つ。
〈こんな本が出ました。野坂に逢ってやってください。〉