「はじめての経済思想史 アダム・スミスから現代まで」中村隆之著
18世紀から現代までの経済思想を概観した好著だ。特に新自由主義の「教祖」であるミルトン・フリードマンに対する評価が興味深い。中村隆之氏は、フリードマン思想の「薄っぺらさ」に注目し、こう指摘する。
<政府が介入することで世の中をよくしようという考えを倒すために、政府のやることは悪、市場のなすことは善という単純な主張が展開される。私はこのフリードマンの単純な主張を「市場主義」と呼ぶ/「市場主義」は、はっきり言って薄っぺらい思想である。先に私はフリードマンの思想を「内容」にもとづいて評価したいと述べたが、じつのところかなり内容がない。しかし、その歯切れのよさは現実をも動かす。そして一般人の「常識」にまで入り込んでしまう>
新自由主義的な弱肉強食競争というマインドコントロールを解くことが、日本社会を健全化するために不可欠だ。そのためには、フリードマン思想の「薄っぺらさ」を具体的に理解しておく必要がある。典型的なのが差別に対する見方だ。
<フリードマンによれば、差別問題を解消するのは自由競争市場である。人種や宗教において、ある特定のグループが経済面で不利な扱いを受けるという問題は、大昔からあった。だが、資本主義の発展とともに、それは大幅に減った。なぜなら、フリードマンによれば、お金儲けを追求する世界である市場では、個人に備わった属性のなかの生産性に関わる部分だけが問題だからである。どんな宗教を信じていようとも、安くてよい製品やサービスを提供する店は繁盛し、そうでない店はつぶれる。また、人を雇うとき、応募者が白人と黒人であり、黒人の応募者の能力が白人の応募者の能力よりも高ければ、黒人の方が採用されるだろう。それは、雇う側が商売で競争をしている以上、当然のことだ>
しかし、現実において差別はなくならない。合理性は人間の行動原理の一部に過ぎないからだ。市場主義の問題は、人間が合理的に行動するという現実と異なった前提で演繹的な思考をすることだ。人間の行動に偏見や習慣が大きく影響を与えることをフリードマンは過小評価している。(講談社現代新書)
★★★(選者・佐藤優 2018年6月28日脱稿)