坂本龍馬の命日に「海援隊」を解散した武田鉄矢
<1982年12月>
博多から上京、72年にメジャーデビューした武田鉄矢、中牟田俊男、千葉和臣の3人組フォークグループ海援隊。当初は「母に捧げるバラード」などてブレークし、ミリオンセラーとなった79年「贈る言葉」以降は本格的に活躍したが、82年12月に解散した。
根っからの坂本龍馬のファンとして知られる武田は大学時代も、龍馬の命日に自転車で九州から京都まで墓参りに行くほど熱狂した。龍馬が結成した組織にちなみ、グループの名前も「海援隊」と改名、主に博多でライブ活動していた。
その後、上京してメジャーデビュー。ヒットを連発したが、82年、武田は「龍馬が殺されたのが33歳の時、俺も33歳になったし、海援隊の名前を龍馬に返してもいい頃だと思って」と解散を決意する。解散ツアーは9月23日、龍馬の故郷・高知市の高知県民文化ホールを皮切りにスタート。コンサートに先立ってメンバーは龍馬像の立つ桂浜をはじめ、高知の旧跡を歩いた。
龍馬の命日(旧暦)である11月15日にはゆかりの地である京都伏見、寺田屋で海援隊の名を返上した。集まったのは武田らメンバー3人の他、バックミュージシャンやスタッフなど20人あまり。龍馬ゆかりの品々に囲まれ、酒を酌み交わしながらメンバーは「海援隊」に別れを告げた。途中、島田紳助率いる「新撰組」が乱入し、宴に花を添えた。名前を返上した3人は「ただの男3人グループ」という気持ちで、12月末まで解散ツアーを続けた。