「明るい天気オタク」 気象予報士・森田正光の“身上書”
6年に進級する時に、一人一人にくれた色紙の言葉が「感謝の 生活は 幸福である」。感銘を受けた森田は、今やサインに一言を添えるようにしている。
■池田弥三郎氏
高校の担任の勧めで日本気象協会に入社。74年名古屋から東京に転勤、ラジオ番組に出演する。自分の天気予報が外れた理由を番組で説明し、謝罪すると、国文学者の池田弥三郎氏が新聞で「こんな丁寧な天気予報は聞いたことがない」と褒めてくれた。
オンリーワンで、新鮮、わかりやすい天気予報を目指すきっかけとなる。
■職人気質の父親
仕事に対するこだわりや、徹底的に調べるという職人気質は、板金工だった父親ゆずり。祖父も自営で板金、父親は製作所に勤務。休みの日も、近所の人に頼まれて雨どいを直すなど人気の職人だった。男3人、女1人の4人兄弟の次男だった森田は、兄弟の中でよく叱られた。森田が中2の時に、東京五輪閉会式のテレビ観戦中に脳卒中で倒れ、3日後に他界。経済的理由で大学進学を断念し、気象予報士の道を歩んだ。