弁護士志望が芝居の道へ 愛川欽也を変えた「新劇界の巨人」
千田は当時の愛川から見たら「雲の上の人」。気軽に声を掛けるわけにはいかなかったが、千田にはずいぶん可愛がってもらったという。
「というのはね、養成所の同期はみんな高校を卒業してから入った人だから全員18歳以上。ボクだけ17歳だったから、そういう意味で目立ったんだろうね。俳優座が『オセロ』の公演をやることになった時、オセロの凱旋行進の最前列で小太鼓を叩く少年の役で研究生だったボクを起用してくれたりね。俳優座の先輩たちには厳しい指導をしてらっしゃったけど、ボクらには優しい先生でした」
そのうち自宅にも遊びに行くようになった頃、千田がこんなことをポツリと漏らした。
「昔は警察にとっ捕まったりしてなぁ、演技どころじゃなかったよ……」
この言葉が愛川のその後の生き方を決定づけた。
「もちろん、それまでも先生がナチスが台頭するドイツで『ベルリン反帝グループ』をつくったり、治安維持法下の日本で検挙されたということは知ってました。でも、当時のことを自慢げにペラペラしゃべる人ではなかったから、自分なりに猛勉強しました。そこで戦争の悲惨さ、平和の大切さ、民主主義の尊さを思い知ったのです」