ベンガルの恩人は故・横澤彪氏 「降板」声にも「もう少しと…」
ただ、テレビのレギュラーは初めてだったわけじゃないですよ。やはりフジテレビさんの人気番組「ひらけ!ポンキッキ」の2代目お兄さんとして、76年4月から78年3月ごろまでの約2年間、出ていましたからね。でも、こちらはあくまで子供向け番組。バラエティーとはいえ、芝居をベースにしたコントができるので気合の入り方が違いました。
担当したのは時事ネタの「日刊乾電池ニュース」という約10分のコーナー。月曜から金曜までのレギュラーなので、毎日新作を作るようなもの。放送作家さんが朝刊を見てネタを選び、朝10時までに台本らしきものを書いてくれるんですが、昼までの2時間弱でボクらは練り上げなきゃならない。しかも、生放送の設営があるのでスタジオ内でリハーサルはできません。会議室みたいな所で稽古をして、すぐに本番でした。
その大変さもありましたが、最初のうちはぜんぜんウケなくてね。それが一番つらかった。
ツービートや紳助・竜介はステージに出ただけで、ワーワーキャーキャー歓声が上がるのに、ボクらは客席のトーンがガクッと下がっちゃう。それを肌で感じるから、なんとか盛り上げようとするんですが、完全にアウェー状態なんですよ。