<第1回>訃報の日に甥からメール「伯父は厳しく優しかった」
【八甲田山 (1977年・東宝)】
高倉健が亡くなったと発表のあった日、彼の甥からメールをもらった。
「伯父は厳しくてやさしい人でした」
このメールほど、彼の人柄を表しているものはない。人間としても役者としても厳しくてやさしいのが高倉健だ。
彼の言葉を記録した『高倉健インタヴューズ』(プレジデント社)は完成までに18年かかった。ただし、インタビューしたのは10回だけ。それでも、関係者からは「10回も会うことができたのは幸せだ」と言われた。なんといっても、「初対面の人は1年に3人」という人なのだから。
そして、本書には本人が「この映画に出たことが忘れられない」と語る作品がいくつか載っている。そのなかから、彼自身が語る見どころを紹介したい。
第1回は「八甲田山」。同作品は明治35年、青森の連隊が八甲田山の雪中行軍に出て、199人もの遭難死を出した史実を映画化したものだ。北大路欣也扮する陸軍大尉が「天は我々を見放した」というセリフがCMで流れ、当時の流行語になった。