低迷期の森脇健児を走らせた 師匠・西川のりおの「金言」
おかげさまで、タモリさんの「笑っていいとも!」(フジテレビ系)をはじめ、「夢がMORI MORI」(同)などピーク時はレギュラーを12本抱えて大忙し。ところが、97年ごろから徐々に仕事がなくなり、98年にはKBS京都ラジオのレギュラーが1本だけ。それでいったん京都に引っ越して、関西ベースで仕事をすることにしたんです。
仕事が減ったのは“燃料切れ”が原因です。実力が伴わないまま名前だけ売れて、それに乗っかって仕事をしていましたが、いつまでも続けられるほど芸能界は甘くない。要するに飽きられたってことです。
失意のうちに関西に出戻り、かといって、すぐに仕事があるわけでもない。それどころか、約9年、東京をメーンにしてましたから、一からではなくマイナスからのスタートでした。仕事がないから、収入もない。ポツポツ入るバラエティー番組や企業イベントの司会で食いつなぎながら、3年ほどは貯金を切り崩しての生活でしたね。
そんな時にいただいたのが「赤坂5丁目ミニマラソン出場」でした。中学、高校時代は陸上部に所属し、100メートル走でインターハイにも行ってる。だからもともと走るのは得意。京都に引っ越してからも毎日10キロのジョギングを欠かしませんでしたから、僕にぴったりの番組だったんです。それで、優勝することができて、「森脇健児、健在」も大きくアピールできた。その時に師匠から言葉をいただいたわけです。