「山桜」にみる“運命の出会いまで結婚は繰り返す”の教訓
本作の手塚は大塩のような存在だ。わが身を顧みず悪政の巨魁を成敗した。野江はその姿に感じ入り、婚家に見切りをつけた。自分の真の伴侶は手塚なのだと気づいたとき、その男が罪人となっていたという皮肉。
それでも野江は勇気を振るって閉門中の手塚家を訪ね、その母と親しむ。母は息子の愛情に気づいており、「あなたを心待ちにしておりました」と手を取って迎え入れる。
そこにあるのは、人は一度の結婚では幸せに巡り合えないという教訓だ。野江のように数度の試みによって、運命の人を見つけることもある。それは現代の男と女も同じだろう。
映画の終盤で藩主が江戸から帰る。賢君であれば手塚を許すだろうが、ムハンマド皇太子であれば処刑するだろう。観客の思いが幸と不幸で揺れる中、野江と手塚を引き合わせた山桜は、今年も美しく咲き誇っているのだった。
(森田健司)