追悼・内田裕也さん 名優にも臆さぬ行動力と自由な表現力
90年代のあるときのこと。内田裕也さんが突然、ニューヨークにアル・パチーノに会いに行くと言い出したことがありました。自身が製作する映画への出演を打診するためでしたが、もちろん、コネもなければ、どこに行けば会えるのかもわからない。それでも本当に現地でアル・パチーノに会って交渉したというところが裕也さんたるゆえんでしょう。
とあるレストランでアル・パチーノを発見した裕也さんは、かの名優がトイレに立つのを見計らって“連れション”を決行。用を足しながら隣のアル・パチーノに「マイ・ネーム・イズ・ユウヤ・ウチダ」と自己紹介。ジャパニーズ・ロックスターと言ったかどうかは定かではありませんが、映画への出演をオファーしたそうです。トイレで見知らぬ東洋人にまくしたてられたアル・パチーノもさぞ驚いたでしょうが、そこは向こうも超一流。「君の英語はファッキンばかりでよくわからないが、とりあえずスクリプト(シナリオ本)を送ってくれ」と言い、裕也さんが「アドレス?」と聞くと「CAA」。帰国後、思いの丈は全部伝えたと胸を張る裕也さんでしたが、CAAとは2000人以上の俳優や女優が所属する全米最大の俳優エージェンシーだったというオチでした。
裕也さんの捨て身の交渉は実らず、出演は幻に終わりましたが、いま思い出しても無鉄砲というかハチャメチャな話です。でもこうした善悪や俗世間、洋の東西を超越した行動力こそが裕也さんの真骨頂でした。