消え入りそうな声でしのぶは「わたし…仕事が…したい」
しかし生きなければならない。
あれだけ仕事がしたかったのに、永遠にできないしのぶのためにも。
やれる仕事といったら、堀江しのぶ以上の才能を見つけ出し、育て上げることだけだった。
錦糸町のマンションにも六本木の事務所にもほとんど帰らず、目黒区青葉台の村西とおるがプロデューサーを務めるパワースポーツに毎日詰める日々がまた始まった。
白い壁面、前面が丸いアーチ形になった、バブル期に建てられた象徴的な4階建てのビルが、村西とおるたちが寝泊まりして働くパワースポーツの社屋だった。
数日ぶりに訪れた野田に、村西とおるはコンビニの袋を手渡した。
もろもろの必要経費を含めたプロデュース料300万円が袋の中身だった。
まだ次の仕事に取りかかり、成功したわけでもないのに、村西とおるは野田の窮状を察知して、何の条件もつけずに手渡した。
(つづく)