二極化から共有へ アニメで振り返る“平成ニッポン”の変化
垣根を越えシェアされる体験
次なる変化は、平成18(2006)年に起こる。象徴的な2つの作品が登場したのである。
ひとつは「涼宮ハルヒの憂鬱」。ライトノベルを原作とする青春SFの快作で、特筆に値するのは、今作がキー局ではなく、UHF局の深夜帯の放映枠から生まれた大ヒット作であること。そして、YouTubeやニコニコ動画といった、当時誕生したばかりの動画サイトがヒットに少なからず寄与したことである。世界中の視聴者がED映像(エンディング)のダンスを踊り、動画を投稿することで作品人気を盛り上げたのだ。
もう一作は細田守監督の劇場長編「時をかける少女」。小規模での公開から、SNSなどを通じた観客の熱烈な口コミによってヒットを記録した今作は、平成20年から全7章で劇場上映された「空の境界」とあわせて、「機動戦士ガンダムUC」「この世界の片隅に」といった、近年の映画館を中心としたアニメの展開を準備する先駆けとなった。動画サイト、SNS、劇場上映――。いずれも体験の「シェア(共有)」が特徴だ。もはやメジャーやコアといった分類が意味をなさず、面白さをシェアしたい気持ちが軽々と垣根を越えさせる。コアなファンに支持されるタイプの新海誠監督が平成28(2016)年に手がけた「君の名は。」のメガヒットは、作風の変化だけでは説明できないだろう。昨年の「名探偵コナン ゼロの執行人」のシリーズ前作比1・5倍の動員も同様だ。
よくも悪くも、平成は何もかもがつながる社会になった。アニメの受容をたどっても、そんな社会の形が見て取れる。
(アニメライター・前田久)