二極化から共有へ アニメで振り返る“平成ニッポン”の変化
「二極化」から始まった新時代
1980年前後に「機動戦士ガンダム」を中心に沸き起こったアニメブームは、それまで使われてきた「テレビまんが」という言葉に代わる、「アニメ」という用語を世間に広めた。それは、「アニメは決して子供だけが見るものではない」という、当時の若者たちの宣言のようなものだった。しかし、ブームは1984年をピークにゆるやかに収束。テレビアニメはファミリー向けと「週刊少年ジャンプ」原作が中心となり、ハイ・ターゲット向けのマニアックな企画は、発表場所をOVA(オリジナル・ビデオ・アニメ)へと移した。アニメの「平成」は、そんなメジャーとコアが二極化したような状況から始まった。
■幕開けは長期ヒット作とともに
平成元(1989)年7月に公開された宮崎駿監督の「魔女の宅急便」は、配給収入20億円を超え、スタジオジブリにとって初の大ヒット作となった。以降、宮崎作品は平成25年の「風立ちぬ」まで、興行的に大きな成功を収め続ける。
平成2年には「ちびまる子ちゃん」の放映がスタート。視聴率30%超えの驚異的な人気作となり、平成4年に一度終了するも、平成7年に再開。現在も放映されている。平成4年には「クレヨンしんちゃん」も放映開始。現在まで続くファミリー向けアニメの流れは、平成の序盤に出揃ったのである。
ファミリー向け企画が好調の一方、アニメファン向けのコア企画は、大きなムーブメントを生み出せずにいた。OVA市場はいまだ活況を見せていたものの、例えば、宇宙世紀の新たな展開として長期展開を目指して立ち上げられた映画「機動戦士ガンダムF91」は、単発企画に終わっている。この時期、マニアックなアニメファンの注目を集めた大きなタイトルに「美少女戦士セーラームーン」があるが、あくまで企画のメインターゲットは女児だった。