炎上作「バイバイ、ヴァンプ!」を改めて真っ当に考察する
ネタバレ込みで、ざっくりと、本当にざっくりとあらすじを書くと、ある日、町に噛まれると同性愛に目覚める吸血鬼・ヴァンプがやってくる。その目的は主人公の抹殺とこの町を「ソドム」に変えることだ。主人公は、自分では知らなかったのだが、実はヴァンプと人間のハーフだった。ヴァンプの世界では不老不死のために子孫を残す必要はなく、同性愛がマジョリティー。よって主人公の父親は異性愛者だったために異端者として処刑されてしまったのだという。そしてヴァンプたちは息子である主人公をも処刑しにきたというわけだ。最終的に、キリスト教の歌の力でどういうわけかヴァンプにされた人々は浄化され、主人公は好きな女の子への愛を貫いた結果、想いの子と結ばれ、ハッピーエンドとなるわけだが……。
製作者の言い分としては、「愛を貫いて壁を乗り越えること」を描いているという。だが、この映画でそれがどのように形になっているのか。異性愛者の主人公が、壁を乗り越えて思いを寄せる女の子と結ばれるのだが、その壁が皮肉なことにヴァンプ・同性愛者なのである。しかし現実に同性愛者の人々が直面している差別や、いまだ乗り越えられない壁に比べたら、この作品で描かれる壁はいわゆる「ファンタジー」ではなかろうか。さらに少し厳しい言い方をすると、この作品自体が同性愛者にとっての一つの壁になりかねない。漫才におけるボケを見てみればわかる通り、笑いというのは異物に対するリアクションであり、その視線の先にあるものがマイノリティである場合、私たちには慎重に判断しなければならない。何かを異物とするとき、そこにはまぎれもなく壁があるのだ。