中森明菜がマッチ宅で自殺未遂…「金屏風前会見」の顛末
1989年7月、近藤真彦の自宅マンション浴室で手首を切る自殺未遂を起こした中森明菜。年末には異例の謝罪会見を行った。
金屏風の前に並ぶ2人。まるで婚約会見のようだったが、「これからはオープンな交際を」と言うだけで、具体的な話はなく終わった。
会見の舞台裏はさまざまな報道が出回り、記者によっても見解は違うが、会見を機に2人は破局。それぞれの道を歩み出した。
近藤は後に一般女性と結婚。タレント活動も順調に続けていたが、明菜は対照的にデビュー以来所属していた「研音」を退社。事務所を転々とするなど窮屈な生活を送っていた。
「交際相手の部屋で自殺未遂は、2人の間に何があったにせよ、相手に大きな迷惑をかけたのは紛れもない事実。最終的に明菜は自身の事務所を辞めるしかなくなった」(元芸能プロ幹部)
自殺未遂の代償で「使うのが怖い」とためらう番組も続出。明菜の仕事は激減していった。一線から消えた明菜を執拗に追うメディアの攻防戦が始まった。