知り合った役者に「稼げる」と説得され32歳で芸人デビュー
舞台のエキストラをやめた三郎に声を掛けてくれたのが、人気歌手の坂本九だった。
「九さんはコマ劇場の公演の時に俺を可愛がってくれてね。やめたと聞いて、『ショーの司会をしないか』って声を掛けた。俺は何度も仕事をやめてるんだけど、そのたびに誰かが助けてくれる。運が強いんだよ」
確かに、三郎は運の強さを持っている。
「喜んで司会を引き受けましたよ。同じ頃、日劇ミュージックホールのオーディションを受けたら合格してね。ヌードショーの間の寸劇に出る仕事です。そんな折、コマ劇場で知り合った仲良太郎という役者に、『コントやらないか』と誘われた。俺は役者になりたくて上京したんで、『コントって、お笑い芸人じゃねえか。お笑いになるくらいなら大阪で吉本に入ってるよ』と断った。とは言うものの、寸劇の出番が多いわけじゃなし、稼げるからと説得されて、結局コンビを組むことになったんです」
コンビ名はザ・チャップリンズ。32歳にして芸人デビューは遅いほうだ。
「浅草にあった松竹演芸場が初高座でした。俺が刑事、仲が容疑者で、取り調べをするというコントの台本を俺が書いてやったんだけど、素人だから受けませんよ。それに、相方の仲がしょっちゅう遅刻するんで、ふた月で嫌気がさした。鴬谷にあったキャバレー<スター東京>のショーに出てる時、楽屋にいると、薄汚れたホームレスみたいなオッサンが入ってきて、なれなれしく『サブちゃん』って話し掛けるんだ。『おじさん、だめだよ。楽屋に無断で入ってきちゃ』と言ったら、『いいんだ。俺も芸人だから』と言う。このオッサンが後に相方となるレオナルド熊です。当時の芸名は熊田にげろう(笑い)。最初の相方の芸名が引金ひくぞうだって。熊さんはしょっちゅう相方を代えてて、その頃は弟子とコンビを組んでたけど、うまくいってなかった。それで『相方にならないか』と誘ってきたんだ。俺も仲の遅刻癖に我慢できず、解散を考えてたから、つい誘いに乗っちゃった」