鳥羽一郎にとって「歌は言葉のキャッチボール」恩師の教え
3年の内弟子生活を経て82年にデビュー
まだデビュー前の弟の(山川)豊が先生の藤沢の自宅の電話番号を調べてくれて電話したら、お弟子さんが、先生は明日、次の日の仕事のために九段下のグランドパレスに泊まると教えてくれたんです。俺はそれを聞いてお土産の赤福を持っていきなり訪ねていった。先生との出会いは今も地下にある「千代田」。一杯やっていた先生を見て意を決して「鳥羽から来たこういうものです」と赤福を差し出したら、もうご機嫌だったのか、「君もそっちに座って一杯やりなさい」って言われて(笑い)。
それが最初で、内弟子生活は3年続きました。でも、なぜ取ってくれたのかはわからなかった。これだけは言われたのを覚えている。「最初におまえの目を見た時、ギラギラしていてオイルでも塗っているのかと思った。殺気立っていた」と。後輩たちに言わせると、先生は飲むといつも俺の悪口ばっかり言ってたって(笑い)。バカな弟子だけど、一番かわいがってくれたのかもしれない。
こんなこともあった。先生が東京駅から夜行で九州に出掛ける仕事があってね。出発まで時間があるので、駅のロッカーに先生のギターや高価なカメラを入れたの。ところが、俺は隣のロッカーにお金を入れて鍵をかけ、荷物が入ったロッカーは開いたまま、バタンバタンしていた。それで当たり前だけど、鍵を開けたら荷物がない。大慌てなわけ。そうしたら警備の人が来て教えてくれた。まあ、事なきを得たわけだけど、それを知った先生にクビと言われるかと思ったら違っていた。
「おまえ、よく盗られなかったな。ついてるよな」って。先生は運がいいヤツをそばに置いておいた方がいいと思ったのかもしれない。
3年間の内弟子生活を経て、1982年に船村先生作曲、星野哲郎先生作詞の「兄弟船」でデビューしました。ここまでやってこれたのは船村先生との縁です。今は大変な時代だけど、何とか乗り切っていかないとね。
(聞き手=峯田淳/日刊ゲンダイ)
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