「チェンソーマン」がアニメ化 ダーク漫画はなぜウケる
少年漫画の枠を越えた過激な描写でアニメ化は無理とまで言われていた人気漫画「チェンソーマン」(原作:藤本タツキ)のテレビアニメ化が決定した。オンエア時期の詳細などが現時点では明らかにされていないが、昨年アニメ化されて話題となった「鬼滅の刃」「呪術廻戦」や、実写映画化された「約束のネバーランド」同様、アニメ化をきっかけにさらに話題となるであろうことが予想される。これらの作品に共通するのは「ダークな世界観」を描いていることだ。
いずれも作品の中で「死」を取り扱い、「鬼」「悪魔」「呪霊」などを登場させ、描写もグロくて過激。なぜ、最近話題となる作品は”ダークな世界観“を取り入れたものが目立つのだろう。その流れと系譜を辿ってみたい。
■流れを作った「進撃の巨人」
閉塞感、猟奇的、絶望感…。それらをベースに構築した物語が”流行“という形で目につくようになったのは2009年より連載を開始した「進撃の巨人」が登場してからだったように感じる。
もちろんそれまでも、ダークな世界観を描いた作品はあったが、あんなに鮮烈で、一歩間違えばトラウマになるような作品に多くの人が熱中したケースはあまりなかった。人間の姿をした巨人が人間を食べる。そんなシンプルな設定だからこそ、シンプルに怖く、それが「進撃の巨人」のセンセーショナルさを生み出していた。
その後、同じように話題となりアニメ化、実写化された作品に11年より連載の「テラフォーマーズ」という作品がある。火星に放たれたゴキブリが進化し、それを駆除するために特殊な手術を施された人間が戦うというSF漫画だが、どちらにも共通するのは、それ以上逃げ場がないという状態で、敵種族を駆逐しなければ自分たちは生き延びることが困難であるという究極な条件下であるということだ。
私たちの世界と同じように、作中に登場する人間はどんなに訓練を積んでいても、特殊な能力を手に入れても、非力な人間であることには変わりなく、登場する人たちは当たり前のように死んでいく。我々が住む世界と同じような絶望感や閉塞感が、漫画にも存在する。
対極ではなく、延長線上にあると感じることで、より没入でき、そして「自分だったらどうするか?」と考えさせる力のある作品が、最近は特に読者を惹きつけるのだろう。
主人公の痛みに共感することで得られるカタルシス
そしてここ最近話題となる作品の主人公は、必ず”理不尽さ“に対峙しているということだ。
「鬼滅の刃」の主人公・竈門炭治郎は妹を鬼にされ、家族を殺された。「進撃の巨人」のエレンも自由を奪われているだけでなく、母を目の前で巨人に食べられた。「約ネバ」のエマらも、鬼の食糧にされるために育てられている。
そんなどうしようもない理不尽さに対峙し、時には憎しみ、傷つき、正しくあろうとするがなれない愚かさも含めて、私たち読者はどうしようもなく”共感“してしまう。
理不尽さを通して何かを得ようとする時、必ず人の醜い本質の部分と向き合わなくてはならない。それが漫画という作品を通して、人間の持つ闇の部分を描くに至らせる理由であり、支持を集める理由になっているかもしれないし、主人公の痛みに共感することで得られる”カタルシス“もあるのだろう。
社会の構造自体に”理不尽さ“を感じてしまう現代だから、それに立ち向かう主人公たちの姿に自分の感情を重ね、時には己に問いかける。ダークファンタジー漫画は、この理不尽な社会の”自浄作用“を担っているからこそ、根強い需要があるのかもしれない。