3.11で人間愛を実感 宮城に帰省中の嫁が音信不通になり…
内間です。この時期になると思い出す東日本大震災と愛。当時嫁は、3月下旬の出産予定のため実家の宮城県に帰省中でした。
あの時は東京もすごかった。僕は新宿を歩いていたのですが、地震の経験が乏しいため、最初気付きませんでした。ただ真っすぐ歩けない。
めまい? でも目にした信号機の揺れで気付いたのです。とにかく事務所に向かおう。ウチの事務所は小学校の跡地。ほとんどの人が中庭に避難していました。ただごとではない雰囲気。そして情報不足。しかし程なくして入ってきたのが、震源地「三陸沖」。
宮城県は大丈夫か!? 嫁に電話をかけてますが、ずっと圏外。テレビでは悲惨な映像ばかり。不安が募ります。だけど僕には何の解決策もありませんでした。
嫁と音信不通になって4日目。突然全く知らない番号から着信が入りました。出てみると、「大丈夫か? 木村です」。
それは天津の木村さんでした。ほぼ初対面の木村さんがなぜ!? 実は木村さんは、宮城県に知人のスタイリストさんがいるらしく、その方におまえの嫁さんの実家の様子を見てきてもらおうか、との連絡でした。