「本名の白羽秀樹では出られない。ましてや“城哲也”では絶対出られない」
この頃の沢村忠の心境はいかなるものだったのだろう。「この頃になると沢村さんも俳優の道は絶っていたと思う」と証言したのは、ジムメートでプロボクシング元東洋・日本ウエルター級王者の龍反町。俳優の反町隆史の芸名の由来となった人物である。
「沢村さんが俳優だったことはもちろん知っていたし、ジムで練習を始めた頃はまだ二足のわらじだったように思う。本当はずっとそのつもりだったのかもしれない。でも、キック一本にしようとこのときに決めたんじゃないのかね。だから沢村さんは懸けていたんでしょう。背水の陣って言うのかな、“もう、これしか道がない”といった具合にね」
程なくして朗報が舞い込んだ。野口修が約3年もの間、手弁当で行ってきたキックボクシングのレギュラー放送が決まったのだ。=つづく