「本名の白羽秀樹では出られない。ましてや“城哲也”では絶対出られない」
「名前が出てはまずい。本名の白羽秀樹では出られない。ましてや“城哲也”では絶対出られない」
白羽はこの時点で大映に所属する俳優である。会社に黙って仕事を引き受ける以上、名前を出されてはまずいと思ったのだ。そこで野口は「沢村忠」という“急場しのぎ”の別名を用意したのである。そのときの詳しいいきさつについては拙著「沢村忠に真空を飛ばせた男」(新潮社)を参照されたい。
ともかく、このときから白羽秀樹は「沢村忠」という別の名前を背負って、野口修と二人三脚で新たなスポーツ「キックボクシング」の普及と発展のために邁進するようになる。そのかいあって、キックボクシングはTBSテレビのスポーツ情報番組「東急サンデースポーツ」で度々取り上げられ、次第に知名度を上げていった。沢村も街を歩いていると「ほら、あの人」と声をかけられるようになっていた。俳優時代では考えられないことだった。