「おい沢村、喜べ。映画出演だぞ。主演は高倉健。健さんだぞ」
裏番組のアニメとの視聴率戦争に明け暮れていたTBSテレビ「YKKアワー キックボクシング」にとって、エースである沢村忠の存在はその旗頭として欠かせないものだった。放映していたTBSは、キックボクシング創始者であるプロモーターの野口修と二人三脚で、この戦争に勝ち抜こうとしていた。
そんな最中、野口プロモーションに一本の電話が鳴った。電話は東映からだった。
「お宅の沢村選手とキックボクサーの面々をキャスティングしたいのですが」
この時代、任侠路線が全盛期を迎えて次々とヒット作を量産していた東映は、高倉健、菅原文太の2大スターの新作に、野口プロ所属のキックボクサーにオファーをしたのである。タイトルは「ごろつき」。プロデューサーは女優・富司純子の実父である俊藤浩滋で、監督は安室奈美恵やSPEEDを輩出した沖縄アクターズスクール開設者・マキノ正幸の実父にして、長門裕之、津川雅彦兄弟の叔父にあたるマキノ雅弘である。オファーがあった背景を、生前の野口修は次のように回想する。
「もともと俊藤さんっていうのは、神戸にいた頃、嘉納のピス健の子分だった。それもあってウチとは長い付き合いで『何かあったらよろしく』ってことは言われていたの」「嘉納のピス健」とは、山口組以前の神戸やくざの大物にして神戸・御影の嘉納財閥の御曹司、さらに日本のボクシングのパイオニアのひとりである大日本拳闘会会長の嘉納健治のことである。野口修の父である元プロボクシング日本ウエルター級王者、野口進はこの大日拳の所属だった。その関係を指している。