ドキュメンタリー映画「歩きはじめる言葉たち」野村展代監督が描く被災地の今
東日本大震災では、一度に多くの尊い命が失われたため<自分だけがつらいわけじゃない>と、我慢している人は少なくない。岩手県陸前高田市に実在する「漂流ポスト3.11」は、震災遺族の行き場のない悲しみを、手紙を受け取るという形で寄り添ってきた。震災から10年半を経て、全国各地から手紙が届くようになったという。16日公開のドキュメンタリー映画「歩きはじめる言葉たち 漂流ポスト3.11をたずねて」(アークエンタテインメント配給)のメガホンをとった野村展代監督(48)と被災地の今を見つめる。
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「漂流ポストは、カフェ『森の小舎』の店先にポストを設置したことで始まりました。店主の赤川勇治さんが被災したお客さんの心を癒やせる場所を作れないかと考えたのです。2014年ごろから被災者に寄り添い、近年では震災とは関係なく、手紙を出す人が増えているんです。震災をきっかけに、抱えた思いを出せる場所ができたことは良いことだと思います」
「漂流ポスト3.11」大切な人との別れに手紙が寄り添う
20年3月、師匠である映画監督・佐々部清氏が急逝。大切な人との突然の別れに遭遇し、自らも手紙を書く立場となった。本作では、佐々部氏の盟友であった升毅が悲しみに暮れる姿が描かれている。
「残された人間は、大事な人を亡くした重みを抱えたまま生きていくしかありません。佐々部ロスでジタバタするありのままの人間・升毅が、見る人の慰めや励みになってくれればいいなと思います」
復興ボランティアでは、福島県いわき市、宮城県石巻市、陸前高田市に何度も通った。
「震災当時、同僚を不慮の事故で亡くしたこともあり、他人事だと思えなかったんです。ボディーケアの仕事をしていたこともあり、マッサージのボランティアに行くことにしました」
昔と同じ暮らしには戻れない
いわき市の仮設住宅には、原発被害があった楢葉町から避難した住人が暮らしていた。時間が経つにつれ整備されていく街並みは、一見、復興したようにも感じるが、目に見えるものがすべてではなかった。
「仮設住宅に通い、会話を重ねることで被災地の生の声を実際に聞くことができました。印象に残っているのは、年配のご夫婦が『東電の賠償やお金の問題も大変だけど、なによりも楢葉町で暮らしていた生活に戻してほしい』と言ったんです。いま住む場所がないのではありませんが、自分たちが暮らしていた土地が突然なくなってしまったことが、ものすごくつらいことなんだなと感じました。震災から10年半が経っても、昔と同じ『普通の暮らし』には戻れていません。その思いはずっと抱えていかなければならない。そういった意味で、まだまだ復興に終わりはこないと思います」
(取材・文=白井杏奈/日刊ゲンダイ)
▽のむら・のぶよ 1973年、埼玉県出身。短大を卒業後、映像制作会社に入社。TVドラマ、CM、プロモーションビデオなどの制作に関わる。2015年、佐々部清監督の映画「群青色の、とおり道」、16年「八重子のハミング」のプロデューサー。20年8月に独立開業し、株式会社スパイスクッキーの代表取締役を務める。